2008年10月1日水曜日

高麗神社の秘密

埼玉の高麗神社を訪れて、宮司さんの説明・神社紹介冊子・講演会の資料などによる、私自身が今まで少し不明に思っていた内容の解明できた点などを紹介します。
①高句麗人から渡来した人を高麗(こま)と呼んでいるのは、渤海の後の高麗のことではなく、高句麗の時代に高句麗人が「高麗」という呼び方を使っていたことに起因している。
②高麗神社は明治より前はごく普通の神社であったのに、明治以降、朝鮮との関係が深くなるに従って、良く知られるようになり、日本の中で最も朝鮮と関係の深い神社として各界の要人達が祈願などに訪れるようになった。
③高麗氏の家系から宮司が続いて神社が守られてきたが、鎌倉・南北朝時代、戦さの要請を受けて出陣・敗戦の苦労と経験があって、それ以降は修験者であるから戦いには出ないとの教えを守り、宮司職に専念してきた。
④高麗神社は「広開土王碑」の貴重な拓本一揃いを所蔵している。
⑤高麗王若光以降、約1200年もの間「高麗郡」の地名が親しまれ使われて来たが、明治29年の郡の改編によって廃され、現在の日高市になった。

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